批評家、国士舘大学客員教授。

小浜 逸郎

中学2年時に父親と死別。母親が副収入のために経営していた塾を、兄と共に一家3人で経営する。横浜国立大学を大学卒業後、学習塾経営を続けるかたわら、同人誌『ておりあ』を主宰、評論活動を続ける。 1981年(昭和56年)、処女評論集『太宰治の場所』を出版。1985年(昭和60年)に出版した『学校の現象学のために』以後は、家族論、学校論、ジェンダー論を世に問う。『男が裁くアグネス論争』『男はどこにいるのか』等の著作では、男尊女卑的な思考をはっきりと退けながらも、性差の存在自体は文化を豊かにするものであるとして、フェミニズム批判の論陣を張った。その後、差別問題、国家、死、知識人論などについても発言を行う。 1992年、学習塾経営をやめ、フリーの著述業に。1993年4月~1998年3月まで、白百合女子大学講師。2002年4月、国士舘大学21世紀アジア学部客員教授。2008年4月~2012年3月、横浜市教育委員。 2008年(平成20年)4月、当時横浜市長であった中田宏の任命により、横浜市教育委員に就任。2012年(平成24年)度まで務めた。新しい歴史教科書をつくる会の中学校歴史教科書(2009年3月検定合格自由社版)を支持し、2009年(平成21年)8月4日、この教科書の採択を推進した。

中学2年時に父親と死別。母親が副収入のために経営していた塾を、兄と共に一家3人で経営する。横浜国立大学を大学卒業後、学習塾経営を続けるかたわら、同人誌『ておりあ』を主宰、評論活動を続ける。
1981年(昭和56年)、処女評論集『太宰治の場所』を出版。1985年(昭和60年)に出版した『学校の現象学のために』以後は、家族論、学校論、ジェンダー論を世に問う。『男が裁くアグネス論争』『男はどこにいるのか』等の著作では、男尊女卑的な思考をはっきりと退けながらも、性差の存在自体は文化を豊かにするものであるとして、フェミニズム批判の論陣を張った。その後、差別問題、国家、死、知識人論などについても発言を行う。
1992年、学習塾経営をやめ、フリーの著述業に。1993年4月~1998年3月まで、白百合女子大学講師。2002年4月、国士舘大学21世紀アジア学部客員教授。2008年4月~2012年3月、横浜市教育委員。
2008年(平成20年)4月、当時横浜市長であった中田宏の任命により、横浜市教育委員に就任。2012年(平成24年)度まで務めた。新しい歴史教科書をつくる会の中学校歴史教科書(2009年3月検定合格自由社版)を支持し、2009年(平成21年)8月4日、この教科書の採択を推進した。

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