復刻・幕末の海軍物語

GHQに没収された「幕末の海軍物語」

 

もしこれまで「江戸時代の日本は未開の遅れた極東の島国だった」という話を聞かされたことがあるなら、この焚書の存在を知っておくことは重要な意味があるはずです。


昭和13 年(1938 年)に出版され、GHQに没収された「幕末の海軍物語」です。タイトルの通り、この本は物語形式で書かれたもので、復刻にあたっては新仮名遣いに直しているので、小説としても読みやすいものになっています。

そして問題は、なぜ、この本が焚書指定されたのか、という点ですが、例えば、、、「生麦事件」。これは開国直後の日本で、イギリス人が薩摩藩の大名行列を馬に乗ったまま横切り、それに怒った薩摩藩士がイギリス人を殺害した事件です。多くの日本人は単なる外国人の殺傷事件という印象を持っているかもしれません。

しかし、この背景には、イギリスをはじめとした白人たちによる、東洋人への蔑視があったのです。せっかくなので、中身を一部、そのまま掲載します…

ところが、行列が丁度生麦村を通っている時に、男三人、女一人、都合四人の外国人が、馬に乗って前方から駆けて来た。この一行は香港から避暑に来ていたイギリス人のリチャードソン、ボロテールの二人が、横浜在留の商人クラークおよびマーシャルの二人を案内として、江戸見物に赴く途中だった。 その前日の八月二十日に神奈川奉行阿部越前守が各国領事に対して 「明日は島津久光の行列が通るが、薩州の者は性格が粗暴だから、明日は遊歩に出ないように」 と通牒(つうちょう)を発し、また横浜門番に対して 「二十一日には一切外国人を外に出すな」 と厳達していた。 彼らもこれを知らないわけではなかった。 「香港に帰る前に江戸見物をしてくる」 と言った時に、友人達から 「今日は島津久光が通ると領事から通知があった。危険だから見合わせたほうがいいだろう」 と忠告されたにもかかわらず 「いや、アジア人の取り扱いはよく心得ている。心配してくれるな」 と横浜を出たのだった。 ::彼らは日本においては攘夷熱が盛んな事情を知らず、日本人を阿片戦争および広東焼打事件等の結果、イギリス人を怖れている中国人同様に扱おうとしたのであった。:: 彼らよりも前に、ヴァンリードというアメリカ人が久光の行列に会っていたが、彼はすぐに下馬して馬の口をとり、道の傍に停まり、久光の駕籠が通る時には、脱帽して敬礼をしたので何事もなかった。 しかし彼らは日本の習慣を知らなかったのか、あるいは知っていてもこれに従わなかったのか、大名行列に会っても敢えて馬から下りようとはせず、馬上のまま久光の行列と行き会った。

(p139-140:生麦事件)



いかがでしょうか? こうした描写が連合国にとって不都合だったのでしょう。本書はGHQから没収されてしまいました。 もちろん中身は帝国海軍創設の父である勝海舟や、海軍大将を務めた小笠原長生の著書を参考文献にして書かれているので、事実に則って描かれていることは間違いありません。

<参考文献> 勝 海舟著『海軍歴史』 小笠原長生著『日本帝国海上権力史講義』 公爵島津家編集所編纂『薩藩海軍史』 徳富蘇峰著『近世日本国民史』 日本造船協会著『近世日本造船史』 石橋絢彦著『回天艦長甲賀源吾伝』 北垣恭次郎著『国史美談』

本書は、戦後教育の親米フィルターを抜きにした、当時の日本人から見た幕末史がありありと描かれています。ぜひ手に取って一読してみませんか?

目次

 

和蘭人の風説書
慎機論と夢物語
和蘭国王の忠告
ペルリの来朝
君沢形
海軍伝習
咸臨艦米国渡航
小笠原島開拓
生麦事件
薩英戦争
神戸海軍操練所
馬関の砲戦
仏国及び英国教師海軍伝習
横浜及び横須賀製鉄所
沿海測量
阿波沖海戦
天保山沖観艦式
旧幕府軍艦の授受
榎本艦隊の脱走
宮古湾の海戦
函館海戦
参考諸表あり