復刻・米国の対日謀略史

GHQに公職追放された新聞記者決死の告訴 アメリカに消されたレポートを復刻!

 

戦前のアメリカに長期滞留し、大東亜戦争時は内閣直属の情報機関“情報局”で新聞記者の経験を活かし情勢の第一線で活躍・・・

戦後の1947年4月に福島県郡山市市長に任命されるも、就任直後にGHQから公職不適格者として追放された新聞記者・伊藤七司が、大東亜戦争が激化する1944年に出版した、戦況レポートを復刻しました!

このレポートは、アメリカにより没収され、戦後読むことが不可能になってしまったのです。

なぜなら、これは1944年10月に出され、米国の対日戦争計画や、米国が日本に仕掛けた陰謀について、米国人の性格や気質などの背景情報を踏まえて分析・解説したアメリカにとって不都合な情報が詰まった、いわば告発レポートだからなんです。

本書の中で、GHQにとって不都合だったんだろうな、と思われる箇所を一部ご紹介します・・・


 

全ての謀略の始まり ペリーの“黒船来航”とその背景


アメリカの対日謀略史は、江戸時代の黒船来航から始まっていました。
ペリーは明らかに威嚇だけでなく、日本侵略を目論んで来日したのです。

 

「日本では一般にペルリの黒船の使命は平和的手段をもつて日本に開港を迫り、同時に日本の門戸を世界に向つて開き、日本に西欧の文化を輸入し、欧州列強の侵略に対して日本の国力を増進することを目的としたと了解されてゐるやうであろが、ペルリの艦隊の下田投錨前後の厳重な交戦の準備は、単に我が当局を威嚇するだけではなく、可能ならば我方に対して侵略を試みようとする意図を有してゐることを示した。現にペルリは前記の如く我が方に対して「敵」といふ言葉を用ひた。
(中略)
現にペルリが我国への贈物として持つてきた物のうちには、日本側をして降服の意を表明せしむる白旗が二つもあつた。米国が我方に対して通商を希望するよりも寧ろ武力をもつて我方を征服せんと欲したことは右の言葉によつても明かである。」


(ペリーの黒船の使命は平和的手段で日本に開港を迫るものだと日本では言われているが、実際は、ペリー艦隊は単に威嚇するだけでなく、日本を侵略しようとしていた。実際にペリーは日本を「敵」と呼んでいた証拠が残っている。実際にペリーが贈り物として持ってきた物の中に、降伏の意味を持つ白旗二つが含まれていた。通商というのは米国が日本に来航した建前で、むしろ武力で征服しようとしたことはこのことからも明白だ。)

 



米国内で結託して行われた日本人排斥運動


日本人排斥運動は、人気取りに必死だった政治家や日本人を敵視する業者や経営者などによって国家ぐるみで結託して行われました。明らかに人種差別と偏見によって日本人を排除しようとしていた、と言えます。

 

「米国における日本移民排斥運動は専ら西部諸州とハワイとにおいて行はれたが、排斥運動を推進せるものは、(一)人気とりのために邦人を非難排斥せる地方の政治屋、(二)政治屋に買収され、または発行部数を増加せんがために邦人を誹謗せる地方新聞、(三)邦人労働者を強敵とみなし、または私利利欲のために排日運動を利用せんとせる都会及び農村の労働運動指導者、(四)邦人業者を敵視せる洗濯業者、食堂経営者など、(五)勤勉な邦人農園経営者と太刀打ち出来ない米人農家、(六)偏狭な愛国心を持ち政治屋に操縦された在郷軍人団、(七)開拓者たることを誇りとした土地ッ子、などであつた。
右のうち地方の政治屋と新聞と労働団体の親分と在郷軍人団は最も有力な分子であつた。排斥の理由は表面的のものであり、第二義的であつて、実際の理由は専ら米人の人種的偏見にあつたと断定せざるを得ないのである。日本人も支那人も有色人種であり、顔の貌も髪の毛の色も米人とは違ふから、なんとなく日本人や支那人に対して好意を持てない。好意を持てないばかりではなく、これを排斥しようといふ気持が本能的に、また潜在的に、米人の心のうちにあつたものと見られる。」


(米国の日本排斥は、以下のアメリカ人によって推進された。
①人気取りのために日本人を避難する政治家
②政治家に買収され発行部数増加のために日本人を誹謗する地方新聞
③日本人労働者を強敵と見做し、私利私欲のために排日運動を利用しようとする労働運動指導者
④日本人業者を敵視する洗濯業者や食堂経営者
⑤勤勉な日本人農園経営者に太刀打ちできない米人農家
⑥偏った愛国心を持った政治家にコントロールされた軍人たち
⑦開拓者であるとの誇りを持った土地っ子
米国が主張した理由は建前で、本当は日本人への偏見によるものだった。日本人も支那人も有色人種で、顔立ちも髪の色も米国人とは違うため好感を持てないだけでなく、排斥しようという気持ちが本能的・潜在的にあった。)

「加州における日本移民排斥運動の第一歩は彼の有名な一九〇六年(明治三十九年)のサンフランシスコ市学務局の日本人学童排斥の決議であつた。サンフランシスコ市学務当局は日本人学童を市内の初等学校から排除して、特設の隔離学校にこれを収容するといふ決議を行つたのである。
(中略)
排日運動はサンフランシスコより地方へ拡大され、各地に排日運動団体が組織されるやうになり、一九〇六年(明治四十年)一月加州議会に全面的日本人労働者排斥法案が提出さるるに至つた。即ち局部的日本人学童排斥は何時の間にか加州の一般的日本移民排斥運動にまで展開されたのである。」


(カリフォルニア州における日本移民排斥運動の始まりは、有名な1906年のサンフランシスコ市学務局の「日本人学童を排除し、特設の隔離学校に収容する」という日本人学童排斥決議がきっかけだった。よって排日運動はサンフランシスコから地方へ拡大、各地に排日運動団体が組織されるようになり、カリフォルニア州では全面的に日本人労働者を排斥する法案が提出されるに至り、いつの間にかカリフォルニア州の一般的日本移民排斥運動にまで発展したのである。)

 


英ソと結託して日本を徹底的に追い込んだアメリカの経済封鎖


アメリカは日本に対し、過度な経済圧迫を加えました。これが大きなきっかけとなり、日本は大東亜戦争に突き進んでいったのです。

「米国政府は三国同盟成立の前日たる九月十六日、屑鉄、屑鋼の対日輸出を禁止したが、十二月十日には日本を目標として、鉄鋼、鉄鋼製品の輸出許可制、次いで同十一日には機械類十五品目の輸出許可制を敷き、さらに翌昭和十六年一月十日には銅、真鍮、青銅、亜鉛、ニッケル、青酸カリなどの重要品目にも輸出許可制を実施した。
米国の対日経済圧迫は、昭和十四年七月の日米通商航海条約廃棄の宣言によつて、初めて公式化されたが、米国はその前年からすでに日本に対して経済戦を実施し始めた。それは飛行機の対日供給制限であつた。由来米国においては日本の経済力は寡少に評価され、日本の戦闘力は稀薄であるとみなされてきた。故に米国はもし、経済上日本に強圧を加へるならば、日本は到底実力をもつて米国に対抗することも、支那事変を急速に収拾することも、南進計画を効果的に実現することもできないと考へてきた。即ち米国は日本に対して戦争一歩手前の手段で如何なる圧迫を加ふるとも日本は実力をもつてこれを排除することは不可能であるとみなしてきた。かくて米国は英国などと共謀して日本に対して本格的経済戦の実施に著手したのである。」

 


(アメリカ政府は三国同盟成立の前日である1940年9月16日から1941年1月10日にかけて、屑鉄や屑鋼を対日輸出禁止にし、銅、ニッケル、亜鉛などの重要品目21品目以上に輸出許可制を実施した。

米国の対日経済圧迫は昭和14年の日米通商航海条約破棄宣言時に初めて公式化されたが、米国はその前からすでに日本に対して、飛行機の対日供給制限という経済圧迫を実施し始めていた。元々米国では日本の戦闘力と経済力は過小評価されてきた。そのため米国はもし日本に経済圧迫を加えるとすれば日本は到底米国に楯突くことはできないと考えてきた。そのため米国は戦争一歩手前の手段で日本にいかなる圧迫をも加えてきた。こうして米国は英国などと共謀して日本に本格的な経済戦の準備に入った。)



米国を操るルーズベルトの策略


著者は、本文でアメリカ人に根付いた残虐性に苦言を呈し、彼らはルーズベルト政権の謀略により操られ、アメリカは日本人抹殺へと踏み出したと言います。

「蒙味な米人の多数は米国は民主主義国であり自由主義国であると盲信し、これを誇りとしてゐたが、ローズヴェルト一味は日独両国はこの民主主義と自由主義の敵であると吹聴した。ローズヴェルト一味は米国が基督教国であり、正義人道の騎士であるが、日独両国は異端国であり、正義人道の敵であると宣伝した。そして世界人類の安寧と幸福とのために日独両国を地球上より抹殺しなければならぬと叫んだのである。」


(米国人の多数は、米国が民主主義国であり自由主義国であると盲信し、誇りに思っていたが、ルーズベルト一味は日独両国がこの民主主義・自由主義の敵であると吹聴していた。そしてルーズベルト一味が米国こそが基督教国であり、正義人道の騎士であるが、日独両国は異端国で、正義人道の敵であると宣伝し、世界人類の安寧と幸福のためには日独両国を地球上から抹殺しなければならない、と叫んでいたのである。)



アメリカの対日スローガン


アメリカは愛国心と闘志のもと、日本という共通の敵を抹殺する、というスローガンを掲げて戦っていました。

「敵は単に物質的優越を恃んで戦つてゐるのではなく、烈々たる愛国精神と、敢国精神と、根強い敵愾心とをもつて戦つてゐるのである。「日本民族抹殺」を字義通り実現すべく戦つてゐるのである。しかも、人種的優越感を抱き、傲慢不遜な態度を示し、敵国在留邦人を酷遇し、前線の我が将兵を軽視して、言語に絶する暴逆行動に出てゐる。彼等は正義人道と国際公法とを無視し、冷酷な微笑をうかべながら鬼畜の残虐行為を恣にしてゐる。」


(米国は単に物質的優越のためでなく、例を見ない愛国精神と、根強い敵対闘志を持って「日本民族抹殺」を体現するために戦っている。しかも、アメリカ人に生まれた優越感を抱き、傲慢な態度で日本移民を酷くあしらい、前線の日本兵を軽視し、言葉を失うほどの暴虐行為をしている。米国人たちは人道と国際法を無視し、冷酷な微笑みを浮かべて鬼畜の残虐行為に手を染めている。)



GHQが焚書をしてまで戦前の日本を消したかったワケ


これらは、アメリカに消されたレポート内容のほんの一部にすぎません。

他にも、アメリカに有利な不平等条約、ワシントン会議・海軍会議での企み、支那事変での米英の謀略など、アメリカが知られたら不都合だった事実がありありと綴られているのです。

そして、これらのレポートに共通して言えることは、アメリカは「日本のため」と言いながら、本音では日本をずっと敵視していたこということです。

そしてアメリカの敵視は今も続いています。

つまり表面では同盟国という立場にいますが、実態はアメリカの言いなりになってしまっているんです。

日本国民はみんなどこかアメリカを慕いながらも、薄々気づいているかもしれませんが、はっきりと指摘する人はいないのです。

なので、はっきりと指摘してある不都合なこの戦況レポートは消されてしまったのです。

本書で伊藤七司は次のように述べています。

「米国はあらゆる地方、あらゆる場合において日本を邪魔もの扱ひにし、日本の既得権利を侵害しようとしたのみならず、日本の新しい活躍の足を封じようとした。」

つまり、全てはアメリカの謀略によって起こされた、ということです・・・

そんなアメリカが日本に対して働いた謀略の数々を、赤裸々にまとめた本書の内容はこちら・・・

目次

目次

第一章 米国の外交方針

第二章 米国の東亜政策

第三章 黒船来航とその背景

第四章 不平等条約

第五章 太平洋制覇

第六章 門戸開放の主張

第七章 満州を狙う

第八章 大戦前後の日米関係

第九章 日本移民排斥

第十章 ワシントン会議

第十一章 その後の海軍会議

第十二章 満州事変と米国

第十三章 支那事変と米英

第十四章 経済封鎖と軍事包囲

第十五章 日米交渉の決裂

第十六章 敵米国の戦争目的

第十七章 米国の宣伝と文化攻勢

第十八章 米人の闘志と残虐性