
満洲大陸史大全Vol.3「大東亜戦争の敗因」〜世界最強だった日本陸軍と海軍善玉論のウソ
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「栄光の明治、悲劇の昭和」
戦後日本人に大きな影響を与えたこのような司馬遼太郎の歴史観は「司馬史観」とまで呼ばれるようになりました。
しかし、「日清日露戦争までは良かったけど昭和に入ってダメになった」というのは本当でしょうか? 国家が急におかしくなるなんてことがあるのでしょうか? ある日突然まるで魔法をかけられたように別の国になるなんて、そんな馬鹿なことがあるのでしょうか?
そんなときに福井先生自身が歴史を追い求めるきっかけとなったのがノモンハン事件でした。実はノモンハン事件自体が、司馬遼太郎が生前最後のライフワークにしようとしていたテーマで、彼は膨大な資料を集めましたが、完成せずに亡くなりました。司馬遼太郎の主張はこうでした。
旅順口、日本海大海戦で栄光を勝ち取りながら、その後日本がなぜダメになったのか、それは陸軍の中に抱えていた乃木希典をはじめとするガン細胞のようなものが放置されていたからだ。なぜ日本はノモンハンの教訓を学ばなかったのか? 貧弱な装備の前近代的な装備を持つ日本が、完全な装備を備えた高度なソ連軍に大敗北を喫した。それに懲りずに太平洋戦争を繰り返すことになったのがよくなかったのだ。日本の悲劇の原点がノモンハン事件だ、と、、、
しかし、ソ連崩壊で資料が明らかになってきたことで、ノモンハン事件はソ連が圧倒されていたことが最近わかってきました。日本2万5000人 vs ソ連23万人という戦力差にもかかわらず、です。なぜならソ連軍の指揮系統はメチャクチャで、装備は貧弱だったからです。つまり見掛け倒しの張り子の虎だったんです。日本の科学技術力は、当時世界最先端とはいえないまでも、欧米に比べても引けを取るものではありませんでした。
実際、第二次世界大戦当時の日本陸軍は世界最強の軍隊でした。「敵と同等の物量があれば100%勝つ。半分でもどうにか勝ってみせる」これが日本陸軍兵士たちの掛け値なしの本音でした。
しかし、戦後はあまりにも一方的に
・日本の軍国主義化
・支那事変の拡大
・国際政治における孤立
・大東亜戦争の開戦と敗戦の全責任
これら全てが陸軍のせいにされすぎてはいないでしょうか?
本来ならもっと効率的に戦って、アメリカに日本より多くの犠牲を出させて講和にもちこむことだってできたはずの戦争でした。これができなかったために、戦後に日本人の対米姿勢に微妙な影を落としています。
アメリカの政治・経済・外交政策にすんなりとしたがい、国際社会でもまともに発言できない日本。まるでアメリカへの属国意識にからめとられた半植民地国家の状態から脱するためにも、あの戦争をもう一度正しい敗因を突き止め、正しく反省する必要があるのではないでしょうか…?