司馬遼太郎が描かなかった日本近代史Vol.3「『竜馬がゆく』という悪の教典」~現代に進駐するGHQの代弁者たち

ご購入日より1ヶ月以内であれば、ご解約の上返金を承ります。

※過去にご購入された方は返金保証の対象外となります。

あなたはご存知ですか?



司馬史観と東京裁判史観が表裏一体なことを、、、



この二つは一見、何の関係もないように見えます。ですが、この両者は目に見えない深いところでつながっていて、司馬史観は東京裁判史観によってかなり大きな影響を受けていたのです。日本国民が自虐史観から脱却するのに、司馬史観が非常に大きな役割を果たしてくれたと、よく言われます。戦前のすべてが誤りであり悪であったという従来の歴史観から、国民の誇りを取り戻すのに、司馬遼太郎の作品が大きく貢献してくれたという解釈です。



しかし、この司馬史観というのはまさに両刃の剣でした。



実は東京裁判史観とは根底のところでつながっていたのです。東京裁判史観では昭和になってから、日本は急におかしくなったと主張されます。とりわけ昭和前期、軍部の指導者たちが日本国民を侵略戦争に駆り立てて、無謀な世界侵略戦争に突入した末に、日本を破滅させてしまったというわけです。



こういった東京裁判史観の考え方は、実は司馬遼太郎彼自身がたどった精神の軌跡とよく似通っています。なぜならば、司馬遼太郎の発想そのものが昭和の破滅に対して、明治の栄光という善悪二元論で成り立っているからです。



この司馬遼太郎の歴史認識の誤りをただすことは、その後の昭和史に関する評価を再構築するための重要な糸口になってきます。戦後80年近くになろうとしている今、我々が刷り込みや偏見の呪縛から解き放たれて、曇りない歴史認識に目覚めるためにも、真実の歴史を徹底的に洗い直すことは必須の作業になってくるのです。



この講座では、各家庭に1冊あると言われる司馬作品が東京裁判史観を現代にばら撒いて後押ししていたことがわかり、日本が真の独立を得るための処方箋が手に入るでしょう、、、