三島由紀夫と陸上自衛隊

「三島由紀夫はなぜ自殺したのか」
それは彼が伝えたかった戦後日本への憂いか。愛国ゆえか。それともただのナルシズムか…。
1970年、11月25日。市ヶ谷駐屯地。大勢の観衆の前で壮絶な割腹自殺を遂げた小説家・三島由紀夫。
当時、この事件を最も近くで見ていた3人の自衛隊員たちが、リアルな証言と分析をもとに、三島を死に追いやった「戦後日本」と言うものの正体を明らかにする。
この講座を見終わったとき、きっとあなたは三島が直面した数々の現実と歴史を理解し、現代日本社会を蝕むものの正体が見えてくるはずです…。
1人の男の死から、戦後社会のタブーに切り込んだ珠玉の歴史講座。
【講師紹介】
●福山隆
防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。その後、外務省に出向。海外から届いたばかりの外交・安全保障に関する機密電報を読み込み、韓国・北朝鮮の情勢を分析する、防衛駐在官を経験した。
帰国後には、世界初の化学兵器テロ、日本で最大の無差別テロである、「地下鉄サリン事件」が発生。福山はこの事件で、指揮官を任され、猛毒のサリンの潜む地下鉄構内に部下を派遣し、見事サリン封じ込めに成功した。
著書「陸軍中野学校の教え」は3万部を超えるヒットを記録。戦後も自衛隊に残った陸軍中野の遺伝子と三島由紀夫の繋がりという観点から事件の真相に迫る。
●冨澤暉
1938(昭和13)年生まれ。元陸上幕僚長(1993~1995年)。防衛大学校卒業後、陸上自衛隊に入隊。戦車中隊長(静岡)・戦車大隊長(北海道)・普通科連隊長(長野)・地方連絡部長(愛知)・師団長(東京)・方面総監(北海道)等の指揮官職を歴任、その間、陸上幕僚監部・東部方面総監部で防衛・教育訓練・人事等の幕僚勤務(6回・約11年)、富士学校(静岡)での研究員勤務に従事。
1993年、陸上自衛隊トップの幕僚長に就任。1995年退官。東洋学園大学名誉教授・理事。偕行社理事長。著書に『逆説の軍事論』。父は『地中海』で芥川賞を受賞した冨澤有為男。妻の父はF機関としてインド独立運動で多大な功績を挙げた藤原岩市。
藤原の紹介で三島由紀夫と直接対話した経験を持つ。
●河面博士
高校卒業後、自衛隊に入隊。
昭和45年、陸曹に昇任。長年、富士学校にて企業向けの生活体験の教官を務める。三島由紀夫や楯の会が普通科教導連隊へ体験入隊をした際も訓練・指導を行った。
最終階級は3尉。54歳で定年退職。