明治日本を変えた3冊の古典名作 Vol.1『新論』:歴史に埋もれた明治維新の羅針盤

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明治維新の始まりともなった魔書


「日本も我々の植民地にする」

アジアの国々は西洋に、次々と植民地化された。
この流れは、日本にも避けられない運命として迫っていた。
1824年、そんな危機下の日本である事件は起こった。
ペリーの来航よりも約30年前のある日、茨城県大津浜で異国の船が静かに岸を打つ...。

12人の外国人が上陸し、その未知の姿に地元の住民は戸惑う。

「この見慣れぬ船は何だ? 彼らは何者だ?」と村の人々が囁く中、一人の男が前に進み出た。

水戸藩の学者、会沢正志斎である。

「恐れることはありません。私が彼らと話してみましょう」と会沢が静かに言い放った。

会沢は筆談やジェスチャーでコミュニケーションを取り、「鯨を追い求め、遠い国からはるばると来たのですか?」と尋ねる。

彼らはそれに頷き、「そうです、鯨を求めて海を越えてきました」と答える。

しかし、彼らがイギリス人であることが明らかになり、会沢はさらに深く掘り下げる。

「でも、それだけが目的でしょうか?なぜ、あなたたちの船には大砲や武器が?」と疑問を投げかけた。

「...」

彼らはイギリスから来たことを伝える時、日本が「イギリスの従属国である」というジェスチャーをしたことを、会沢は見逃さなかった。

疑問に思った会沢は、しつこく尋問を繰り返した。

すると、とうとうイギリス人たちは、鯨を捕まえにきたということも濁して会話を終わらせようとするのだった…

「わが国は、これ以上、油断するわけにはいかぬ」

この出来事が会沢に警鐘を鳴らし、1冊の本を執筆するきっかけとなる…

それが、『新論』という魔書。

江戸の人々に“危機”が訪れていることを警告をすると同時に、そんな危機から脱却するための方法を丁寧に書き上げた。

後にこの『新論』こそが、日本を明治維新へと導いた“羅針盤”となったのだ。

しかしながら、これほど重要な江戸時代の名著『新論』は、全くといっていいほど現代人に知られていません…

いったいなぜ知られていないのでしょうか?

それは、『新論』があまりに難しい思想書であるからです。

その証拠に、『新論』を絶賛する吉田松陰ですら、1回目に読んだ時には『新論』の本質に気づけなかったと言われています…

そのため、専門家でもない限り『新論』を読み解くのには、途方もない労力がかかることでしょう。

ですが、このまま『新論』を読まずにいると、、、明治維新を起こした日本人の精神は、日本に悪影響を起こした過激なものであると勘違いしてしまいます…

そこから、明治維新そのものを否定的に考えるようにもなってしまいます…

そして、日本が強かった時代の精神を取り戻すことができず、いつまでも欧米の言いなりになっていることに疑問すら持たなくなってしまうのです…

しかし、『新論』を正しく読み解ければ、約200年前の日本人たちがどのようにして外国の脅威から逃れることができたのかを理解できます。

この解説講義を見ることで、、、
・なぜ現代では、日本が外国の脅威に対してあまりに無策なのか?
・なぜ、幕末の志士たちは死をも恐れず「明治維新」を起こせたのか?
・なぜ、新論で説かれた「攘夷思想」が戦後、危険視されたのか?
など、「日本が混沌とした国際情勢の中で進むべき方向」の羅針盤を手に入れることができます。

この講座の講師は、皇學館大学で30年以上教鞭を取られている松浦光修先生が務めます。