表現者クライテリオン編集部

なぜ「基準」を意味する「クライテリオン criterion」という言葉を付与しているのか? そもそも、「保守」の根幹にあるものは生き続けんとする意志と実践。 それはつまり、「死んでしまうこと」を避け続けるものなのです(だからこそ保守思想は「生の哲学」なのであり、死に至る病たる「ニヒリズム」と徹底的に闘い続ける「実存哲学」なのです)。 では「死」というものをもたらすものが一体何なのかと言えば───それは「危機」crisisです。したがって、「保守思想」とは畢竟、「危機」と対峙し続けるための思想なのです。 現在日本が長期のデフレなのも、科学技術力が衰退しつつあるのも、北朝鮮の核攻撃が現実的に危惧されているのも、巨大地震によって国難の危機に直面しつつあるのも、はてはあらゆる地域や社会や家庭が崩壊しつつあるのも、さらには一人一人の精神の活力が失われ、「自分探し」なるものが横行するようになってしまったのも全て、この私たちの日本の中で生に向けた「クライテリオン=基準」が溶解し、失われつつあるからに他なりません。 したがって「危機と対峙する保守思想」は必然的に、「クライテリオン=基準」を探し続けなければならなくなるのです。 今、まさに急速に失われつつある、あらゆる局面における死を回避し生を求める「クライテリオン=基準」を探り当て、打ち立てんとする決意を表すべく「表現者クライテリオン」と名付けられるに至ったわけです。 もしも、様々な局面でのクライテリオン=基準を巡る議論が活性化し、それが少しずつでも打ち立てられることができれば、我々は今よりも随分と生きていきやすくなります。結果必然的に、安寧と活力ある生を営むことができるようになります。 その試みが功奏すれば、社会からニヒリズムは退潮して現代人達の(存在論的な)不安は消滅し、自分探しなるものに従事する若者達も消え失せ、個々人の精神も各々の家庭や地域も活力を取り戻し、デフレも終演し格差も縮小し、安全保障は強化されて外交力も増進し、国運が大きく回復し、我が国が黒船襲来後はじめての「真の独立」を打ち立てることに成功することとなるでしょう。 我々はそんな巨視的構想の下、危機(cri-sis)と対峙するための基準(cri-terion)を探し求める批評(cri-tique)を徹底的に展開せんとするものなのです。

なぜ「基準」を意味する「クライテリオン criterion」という言葉を付与しているのか?
そもそも、「保守」の根幹にあるものは生き続けんとする意志と実践。
それはつまり、「死んでしまうこと」を避け続けるものなのです(だからこそ保守思想は「生の哲学」なのであり、死に至る病たる「ニヒリズム」と徹底的に闘い続ける「実存哲学」なのです)。

では「死」というものをもたらすものが一体何なのかと言えば───それは「危機」crisisです。したがって、「保守思想」とは畢竟、「危機」と対峙し続けるための思想なのです。
現在日本が長期のデフレなのも、科学技術力が衰退しつつあるのも、北朝鮮の核攻撃が現実的に危惧されているのも、巨大地震によって国難の危機に直面しつつあるのも、はてはあらゆる地域や社会や家庭が崩壊しつつあるのも、さらには一人一人の精神の活力が失われ、「自分探し」なるものが横行するようになってしまったのも全て、この私たちの日本の中で生に向けた「クライテリオン=基準」が溶解し、失われつつあるからに他なりません。

したがって「危機と対峙する保守思想」は必然的に、「クライテリオン=基準」を探し続けなければならなくなるのです。
今、まさに急速に失われつつある、あらゆる局面における死を回避し生を求める「クライテリオン=基準」を探り当て、打ち立てんとする決意を表すべく「表現者クライテリオン」と名付けられるに至ったわけです。
もしも、様々な局面でのクライテリオン=基準を巡る議論が活性化し、それが少しずつでも打ち立てられることができれば、我々は今よりも随分と生きていきやすくなります。結果必然的に、安寧と活力ある生を営むことができるようになります。
その試みが功奏すれば、社会からニヒリズムは退潮して現代人達の(存在論的な)不安は消滅し、自分探しなるものに従事する若者達も消え失せ、個々人の精神も各々の家庭や地域も活力を取り戻し、デフレも終演し格差も縮小し、安全保障は強化されて外交力も増進し、国運が大きく回復し、我が国が黒船襲来後はじめての「真の独立」を打ち立てることに成功することとなるでしょう。
我々はそんな巨視的構想の下、危機(cri-sis)と対峙するための基準(cri-terion)を探し求める批評(cri-tique)を徹底的に展開せんとするものなのです。

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