極東の防波堤・満州国〜共産ソ連を封じ込めた戦略都市

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封印された「共産ソ連の脅威」

日本が国際連盟を脱退せざるを得なかった本当の理由

第一次世界大戦の終結とともに、世界は恒久平和の夢を抱きました。しかし、その裏で共産ソ連は軍事力をひそかに拡大し、世界の秩序を揺るがす存在へと変貌していきました。レーニンによるロシア革命を経て成立した共産主義国家・ソ連は、やがてスターリンの下で膨張政策を推進し、周辺諸国に圧倒的な脅威をもたらしたのです。


このソ連の「膨張する軍事的脅威」に、いち早く警戒心を抱いたのは日本でした。平和を掲げたワシントン体制や国際連盟の理想とは裏腹に、ソ連はアジアや東欧へと浸透し、満州やモンゴル、東ヨーロッパ諸国までをその影響下に置こうとしていました。満州事変が発生する前夜、日本の指導者たちはソ連の膨張を前にして、国防と生存を守るための「防波堤」として満州国を建設する選択を迫られたのです。これは単なる領土拡大ではなく、共産主義からの防衛と、日本が独自に築き上げる経済的・軍事的ブロック構想の一環でした。


また、世界恐慌により各国がブロック経済へ移行する中、日本は「グローバリズム」の限界を痛感していました。アメリカやイギリスが自国経済を守るために保護貿易政策を取り、貿易の自由化に背を向ける一方、日本は金解禁というグローバリズム政策を実施しましたが、その結果、莫大な経済的損失を被ることとなります。いわば、「正直者がバカを見る」状況で、日本はそのままでは生き残れないことを痛感し、経済的自立を図る必要に迫られていたのです。


こうした危機感から、日本は満州という地に防共・防衛の拠点を築きましたが、国際社会の理解は得られませんでした。国際連盟のリットン調査団は、日本の実効支配を一部認めながらも、満州を国際的な監視下に置くことを提案。日本の立場を「侵略」とみなす欧米の世論に押され、日本は苦渋の決断として国際連盟からの脱退を選ばざるを得なかったのです。


鈴木荘一先生が解き明かすこの歴史は、単なる過去の出来事にとどまりません。日本がいかにして共産ソ連の脅威に立ち向かい、いかなる背景で満州国建設を選んだのか。その真実を知ることは、現代においても国際協調が常に平和の解決策でないことを再認識させます。今こそ、封印された歴史の扉を開き、真実を見つめ直してみませんか?